玄能鍛冶の私が、
スコップを作ろうと思った理由。

それは、ふたつあります。ひとつは、日本のアウトドアフィールドでの排便(野グソ)や焚火の後始末による自然環境破壊を見るに見かねてのこと。欧米ではバックパッキングでのスコップの携帯が進んでいますが、日本ではその必要性さえ認知されず、故に適したスコップはほとんど販売されてこなかったのが現状です。ならば、玄能鍛冶としてのものづくりの技術をいかして自分で開発してみたいと思ったのです。
もうひとつは、少し勝手な理由ですが、新しい事への挑戦です。私の師であり、単なる玄能を大工道具の花形に昇格させた長谷川幸三郎さん、さらには師が生涯の目標とした千代鶴是秀さんは、其れまで誰も考えなかった方向に鍛冶仕事を進化させました。今では割の合わなくなった鍛冶仕事を、今後も健全に進化できる形に再構築するため、私も新しい事に挑戦したいと思ったのです。

玄能とは?

玄翁とも書く、日本の伝統的大工道具。
金槌の一種で、打撃部分の片側が平らに、もう片側がわずかに凸状態になっている。平らな面で鑿(のみ)や釘を打ち、「木殺し面」と呼ばれる凸面で釘の仕上げ打ちや、木材のほぞとほぞ穴の接合部分を叩いて締める際に使用する。

相田浩樹プロフィール

相田浩樹

1964年、日本を代表する大工道具の町として知られる新潟県三条市で、各種ハンマー製造を営む相豊ハンマー(金槌鍛冶として創業は昭和12年、初代は明治時代初期の提灯金具製造までさかのぼる)の三代目として生まれる。83年、三条職業訓練校を卒業後、地元の金物製造工場に就職し、プレス加工を仕事にするも、30歳の時に、「同じ作るなら自分で考えたモノを作ってみたい」と思い立ち、家業に戻る。金槌製造を手伝ううちに、モノづくりをより深く追求したいと思うようになり、たどり着いたのは玄能だった。玄能は、大工道具のなかで最も単純な形態と機能ながら、その製造においては極めて奥が深く難しい道具とされる。35歳、この世界においては極めて遅いスタートであった。翌2000年、何度も失敗しながらもなんとか形になった自作の玄能を持ち、三条出身の玄能鍛冶の名工、故長谷川幸三郎氏を訪ね、氏が生涯にとった弟子二人のうちの一人となる。2003年、38歳にして玄能鍛冶として仕事を開始し、今日に至る。師から許された「浩樹」印の玄能は、店頭に並ぶとあっという間に売れると言われ、注文から数年待ちが普通となっている。

相田浩樹が、日々、書き綴る「玄能日記」

「鍛冶屋にも種類が有ります。合理化・機械化を進め工場に進化させた鍛冶屋。時代の変化に対応しきれずに停滞している鍛冶屋。そしてもう一つは鍛冶仕事が好きで、それ自体を掘り下げて進化させている鍛冶屋。私はそれを自認しておりますが、こんな変わった鍛冶屋も、日本には少なくなってしまいました。」(玄能日記より) 相田浩樹が、日々、書き綴る「玄能日記」

earthworm